あなたが現在見ているのは 「私だけのオリジナル」という重荷を捨てたら、人生はただの最高なDJプレイになった

「私だけのオリジナル」という重荷を捨てたら、人生はただの最高なDJプレイになった

カフェの片隅で白紙のノートを前にして、3時間も唸っているあなた。

「どこかで見たような内容じゃダメだ」

「自分にしかできない唯一無二のコンセプトを作らなきゃ」

「私だけのオリジナリティって何……?」

眉間にシワを寄せ、白目を剥きながら自意識の迷宮で遭難しておられます。

過去に誰かから「それって〇〇の受け売りだよね」「どこかで聞いた話だな」

なんて言われて、胸にグサッと冷たい剣を刺されるような痛みを味わったのかもしれません。

そのトラウマをかばうあまり、「完璧に斬新で、誰にも文句を言わせないゼロからのオリジナル」を生み出そうと必死こいて縮こまっている。

お待ちください。

何をゼロから生み出そうとしてるのですか。

あなたは創世記の神様か何かなのですか。

落ち着いて、手元の冷めきったチャイを一口飲んでください。

全人類の「意識の無駄遣い」を監査してきた私から言わせれば、この世に完全なる「ゼロからのオリジナリティ」なんて存在しません。

そんな幻影を追いかけてフリーズしていること自体が、壮大なエネルギーの無駄遣いであり、単なるエゴの自縛プレイです。

人間が表現できるものなんて、すべて先人たちが遺したカケラの「引用」と「再構成」に過ぎません。

あなたが感動した本の一節、子どもの頃に惹かれたアニメのセリフ、美味しすぎたスパイスカレーの匂い、大好きなアーティストの衣装の色、誰かの素敵な立ち振る舞い。

そういう既存の要素をかき集めて、あなたという独特なフィルターを通して並べ替えたときに、勝手に立ち上がってくる「空気感」のことだけを、人は都合よく「オリジナル」と呼んでいるだけなのです。

私も昔、ヨーロッパでダンサーやヨガ講師をしていた頃、「私だけの独自のスタイルを確立しなければ」と肩肘を張っていた時期がありました。

けれど、サンフランシスコで出逢ったヨガの師に「Makiko、あなたが体験して、本当に好きなこと、知ってることだけを教えなさい」と言われたのです。

冷静に考えたら、私のやっていることなんて、20代の頃に京都の写真館で培った「赤ちゃんを笑わせる謎の念力」と、ヨーロッパで学んだ即興ダンス、インドで習ったレイキ、そして子どもの頃に頭の中で上演していた宝塚歌劇ごっこの残像をごちゃ混ぜにしたパッチワークに過ぎません。

でも、それらを私の身体を通し、私の「好き」で再構成して差し出したとき、誰もそれを「パクリ」とは呼びませんでした。

過去に否定された痛みのせいで、「完璧に独創的な鎧」を着込もうとするのは、おやめください。

そんなガチガチの鎧を着て白紙のノートと睨めっこする暇があるなら、

あなたがこれまでの人生で出逢い、心が震えた「大好きなカケラ」を両手いっぱいのカップに溢れんばかりに集めて、

ニヤニヤしながらテーブルに並べてみてください。

「これとこれを組み合わせたら、めっちゃ面白くない?」

そうやって、好きなものを自在にサンプリングし、切り貼りし、遊べばいいのです。

過去の偉大な知恵も、道端で見つけた落ち葉も、全部あなたの作品の「素材」です。

人生は最高のアートであり、あなたはあなたの好きなことをしたらいい。

ゼロから生み出さなくていい。

あなたはただ、お気に入りの素材を集めてプレイする、

最高のDJになればいいのですから。

【静謐監査官Makikoからの問い】

あなたが必死に探している「オリジナルな自分」とは、本当は「誰にも批判されたくないという保身」の別の顔ではありませんか?

【今日、この瞬間にできる監査アクション】

「大好きなサンプリング元」を3つ告白する。

ノートでもSNSでも構いません。

「私が影響を受けた大好きなもの(本、人、映画、言葉など)」を3つ挙げ、

「これを私なりにパクって遊んでます!」と心の中でドヤ顔宣言してみてください。

「未完」の美学〜人間はなぜ、人生に「完成」の判子を押したがるのか

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