私は、孤独な覚醒者を量産したいわけではない
スピリチュアルジャーニーを歩き始めると、必ず『孤独』な時期を過ごします。
なぜなら、それがスピリチュアルジャーニーというもので、全てがうまくいってる時に覚醒も成長もありません。
しかし私は、誰にも頼らず、山の上で静かに発光している「孤独な覚醒者」を増やしたいわけではありません。
もちろん、自分の足で立つことは大切です。
誰かの言葉、先生の教え、占い、スピリチュアルな権威に、自分の人生のハンドルを預けないことも大切です。
でも、人間はそこまで一人で完成しなくていい。
主権を持つことと、孤立することは違います。
「私は誰にも依存しません」
「私は自分で全部できます」
「私はもう誰にもわかってもらわなくていいです」
そこまで行くと、少し主権というより、心の要塞です。
立派ではありますが、窓が少ない。
私がつくりたいのは、そんな場所ではありません。
(さらに…)内なる明晰さ、主権、創造的な力を取り戻す時
私たちはよく、人生のどこかで「完璧にブレない無敵の存在」を目指そうとします。
神殿のようにそびえ立つ、一切の揺らぎのない境地。
あるいは、他人の言葉にも、経済の波にも、年齢による肉体の変化にもビクともしない強固なメンタル。
ですが、少し辛口な事実をお伝えさせてください。
そんな完璧な神殿を建てようとすること自体が、実は自分を偽る壮大な「パフォーマンス(演技)」の始まりです。
神殿の維持費は高くつきますし、何より一歩も動けなくて窮屈です。
かといって、他人の意見や占いの結果に振り回されて、その場しのぎのプレハブ小屋をあちこちに建て直すのも、そろそろ疲れてきたのではないでしょうか。
目指すべきは、神殿でもプレハブでもない、「ちょうどいい霊的建築」です。
揺らぎながらも、自分の足で立ち、自分の思考の決定権を誰にも明け渡さない。
今日は、そんな等身大の主権を取り戻すための、ヒントをお届けします。


