スピリチュアルジャーニーを歩き始めると、必ず『孤独』な時期を過ごします。
なぜなら、それがスピリチュアルジャーニーというもので、全てがうまくいってる時に覚醒も成長もありません。
しかし私は、誰にも頼らず、山の上で静かに発光している「孤独な覚醒者」を増やしたいわけではありません。
もちろん、自分の足で立つことは大切です。
誰かの言葉、先生の教え、占い、スピリチュアルな権威に、自分の人生のハンドルを預けないことも大切です。
でも、人間はそこまで一人で完成しなくていい。
主権を持つことと、孤立することは違います。
「私は誰にも依存しません」
「私は自分で全部できます」
「私はもう誰にもわかってもらわなくていいです」
そこまで行くと、少し主権というより、心の要塞です。
立派ではありますが、窓が少ない。
私がつくりたいのは、そんな場所ではありません。
自分の感覚を信じている。
自分の選択に責任を持っている。
でも、必要な時には人と笑える。
迷った時には誰かの視点を借りられる。
誰かの成功を見て、自分を失わずに祝福できる。
そんな人たちが集まる場です。
依存ではない。
でも、冷たくもない。
「助けてください」と人生を丸投げする関係ではなく、
「私はこう考えている。あなたはどう見える?」
と、対等に言葉を交わせる関係。
私は、そういうつながりが好きです。
スピリチュアルの世界には、ときどき妙な孤独があります。
自分だけがわかっている。
自分だけが目覚めている。
波動が合わない人とは距離を置く。
気持ちはわかります。
人間関係は、時々かなり面倒です。
でも、誰とも交わらずに光っているだけなら、それは灯台というより、少し寂しい懐中電灯です。
私が大切にしたいのは、
自分の光を持った人たちが、互いの光を奪わず、消さず、依存もせず、ちゃんと笑い合えることです。
誰かを救うためではなく。
誰かに救われるためでもなく。
それぞれが自分の人生に戻ったうえで、
「それ、わかる」
「私もそんな時期があった」
「今日めっちゃおもろかったね」
と言えること。
主権とは、ひとりぼっちになることではありません。
自分を失わずに、誰かとつながること。
自分の光を持ったまま、誰かの光を見られること。
私は、そんな人たちが集まる場所をつくっていきたいと思っています。
Makiko
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