スピリチュアルな道を歩んでいると、世界の本質を垣間見たような感覚に出会うことがあります。
けれども同時に、その光の体験には影も潜んでいるのです。
それが「スピリチュアルなインフレーション」と呼ばれる現象です。
インフレーションとは膨張のこと。
せっかくの精神的な実践が「エゴを静める」方向には進まず、逆にエゴを膨らませてしまう状態を指します。
本来なら解きほぐされていくはずのエゴが、精神的な衣をまとって肥大していく。
この皮肉な罠は、思っている以上に、多くの人が知らず知らずのうちに陥ってしまうものです。
例えば、「私は目覚めた存在だ」と新しいアイデンティティをつくり上げる、などです。
どうしてそれが危険なのか
問題は、このインフレーションが「本当の成長」を止めてしまうことにあります。
さらに危険なのは、自分の内側に流れ込んでくる集合的なエネルギーに無自覚に同一化してしまうこと。
「世界を救わなければ」という使命感に突き動かされたり、自分が特別で選ばれた存在だと感じ始めます。
そうなると現実との足場を失い、「完全な調和を手にした」と思い込んでいる割には、心理的に不安定になります。
精神世界を探究していたはずが、実際には現実から乖離していく。
その矛盾が人を破綻へと導いてしまうのです。
本物のスピリチュアリティとは
では、真のスピリチュアリティとは何でしょうか。
答えは意外なほどシンプルです。
それは人を「より人間らしく」するものです。
特別な存在になることでも、超人になることでもありません。
むしろ逆で、より普通に、より深く「ただの人」として生きられるようにするものです。
真の精神性は、他者との隔たりを広げるのではなく、むしろその隔たりを溶かしていきます。
それは「自分は進化した存在だ」という分離の幻想を強めるのではなく、「私もあなたも同じ人間だ」という柔らかな理解へと導くものです。
どうすれば罠を超えられるのか
この罠を超える鍵は、さらなる修行や特別な技術ではありません。
大切なのは「正直さ」だけです。
修行は『重い』です。
正直さは『軽い』です。
「他者より優れていたい」「安心したい」という動機で動いていないだろうか。
自分の実践が、より優しく寛容になっているのか、それとも批判的で排他的になっているのか。
より好奇心に満ちているのか、それとも確信に凝り固まっているのか。
そんな問いを投げかけ続けることが、スピリチュアルなエゴを溶かしていく道です。
スピリチュアルなエゴやインフレーションは、誰もが一度は触れる可能性のある精妙な心理的罠です。
けれども、それを認識できたときにこそ、本当の学びとシフトが始まります。
精神的な探求の道は、光と影が常に隣り合わせ。
だからこそ、光を追い求めるときに、自分の影もまた愛をもって見つめることが必要です。
特別になるのではなく、より普通になる。
それが魂の成熟のしるしであり、本物のスピリチュアリティの扉なのです。
普通というのは没個性化ということではありません。
相変わらず変わってるところは沢山あるけど、特別変わってるわけではなく結構平凡であるということを知っていること。
自分の住んでる地域や親族間では少し珍しいタイプであっても、世の中には結構似てる人がいっぱいるし、もっと変わっている人もいっぱいいます。
ここから先は、「私がどれほど目覚めているか」ではなく、「私がどれほど人間として生きているか」を問う段階。
そこにこそ、探し求めていた真の自由が静かに待っています。
Makiko
❤️10月のゲストライターは曼荼羅アートのNatsueさんです。