身体の反応を通して、本来の軌道へ
静けさというものは、ただ“音がない状態”ではありません。
意識の表面に浮かんでいた思考の波が落ち着き、内側の湖面がふっと澄み切るとき、ようやく本来の方向が見えてきます。
私たちは、つい情報や他人の期待に合わせて道を歩いてしまいますが、身体の深いところ
――特に丹田のあたり――は、
ずっと前から小さく合図を送り続けています。
そのサインはいつも微細で静かです。
胸のざわつき、軽い違和感、理由のわからない疲れやすさ。
逆に、“妙に落ち着く”“なぜか気が合う”、“ここにいたい”という感じもそう。
身体は言葉を使いませんが、嘘をつかない知性を持っています。
ご自身の身体の重心がどこにあるかを感じてみてください。
頭にのぼった意識で語っているときは、声は軽く、言葉はどこか宙に浮き、未来のイメージもにじみます。
でも、丹田に意識が落ちてくると、語る速度は自然にゆっくりになり、選ぶ言葉の質が変わり、視野が“自分の中心”からのものに戻ります。
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