こんにちは!
石垣島のMakikoです。
このブログをお読みの方の中には、海外にお住まいの方、語学の先生、そして多言語を話される方が割といらっしゃるようです。
そして私も外国語に触れるのが大好き❤️
好きどころか、人生の中心が『外国語』という感じ。
外国が好きなのではなく、外国の『言葉』が好きです。
でも正確にいうと、外国語をマスターしたいというよりは、頭の中に日本語による情報をあまり入れたくない、というのがあります。
いやもう全力で避けたい、というか。。。
日本人なので当然ですが、日本語は分かりすぎてしまうので、そのもののエッセンスより先に言葉でわかった気になるのは危険だ、と無意識で避けているのかも知れません。
それだけ、私が言葉の影響をもろに受けてしまいやすい人からです。
外国語で何かを学ぶと、ニュアンスだけ感じ取って、私はこう解釈しました、というのだけが残る、というところが好きなのです。
学んだ後、外から植え付けられた言葉を、無闇に使い回ししないように、ゴミ箱に捨てる手間が省けるというか。
でも、勘違いの解釈もいっぱいあって、後で恥ずかしい思いをすることも多々あります😅
以前、フラダンスの先生をされてる方にこの話をすると、彼女もフラをハワイの先生から英語で習われたのことで、英語は得意ではないのだけど、自分のフラのマスター法と似てる、と仰ってました。
私にとっては、語学の勉強は、瞑想のようなもの。
いや、文法ドリルなどをしているわけではないので、勉強とは言わないのかも知れないのですが。。。
私の頭の雑念を、違う言語で塗りつぶしていったり、独り言の練習をして脳をスローダウンさせたり。
暇つぶしにもなるし、現実逃避にもなるし、私今忙しいんですっていう言い訳にもなるし、最強のグラウンディングにもなる。。。
何より習い始めの時の、赤ちゃんに戻るような、戻るしかないような、あの感覚が好きです👶
ほんっとに、ちんぷんかんぷんで、ああもどかしい〜!何いってるんだろうこの人。。。胃の辺りがモヤモヤする〜っていう、あの不快感。
赤ちゃんが、なんであんなに泣くのかわかる気がします(笑)
ところで皆さん、スティーブ・カウフマンさんという現在80歳で20ヶ国語ぐらい話せる方をご存じですか?
60歳のとき、9つ目の外国語であるロシア語を学び始め、それ以降も10ヶ国語以上学び続けている方です。
彼は「言語は、意識ではなく“無意識”が学ぶ。」と仰ってました。
脳は、無意識のうちに言葉の「出現頻度」「並び方」「使われる場面」を統計的に学び取るそうです。
たとえば
“I am” と “You are” を何度も聞くうちに、「“I”のあとには“am”、 “You”のあとには“are”が来るのが自然だ」という感覚が、
説明なしで身につく。
つまり、脳は膨大な例から自動的にパターンを抽出する装置とのこと。
『だから自分の脳をもっと信頼しなさい』と。
ポイントは、わからない単語を逐一調べない、ということです。
分からないことを許して、どんどん前に進め、と。
また脳は、“好き”や“興味”をエネルギー源として動く、とも言ってました。
脳に素材をたくさん与えて、
分析や完璧さを求めすぎずに、脳が勝手に整理整頓してくれることを信頼する。
それが、カウフマン流の「脳の自然な力」を信じる学び方です。
でもこういうのは、たぶん皆さんも経験おありなのではないでしょうか?
沼るから、マスターできるんですよね?笑
無理に詰め込むのではなく、首までどっぷり浸かって身体で体験すること、感じること、文脈から本質を推理すること、イマジネーションを働かせること。。。
時間もかかるし、毎日の進捗具合はわからないのですが、ある日ふと宇宙語にしか聞こえなかった音が、ふっと意味のある文章として聞こえてくる瞬間があります。
乱雑に見えていた3Dアートの模様から、突然ハートの小箱やクマの絵がぐわ〜っと立体的に見えてくるような。
取り組み始めは、これがわかるようになる日なんて、生きてる間にいったい来るのだろうか。。。
と、途方に暮れるのですが、気の遠くなるほど長い長い停滞期の後、突然わかるようになってくる瞬間
ーーー私の人生3大喜びの一つです😃
語学学習の真髄は『意識の拡大』だ、
と、かっこよく締めたいところですが、
使ってなかったら、急激に忘れていく、という切な過ぎる現実もあります(笑)。
1年住んだオランダ語は、挨拶の仕方すら覚えてないし、
4年住んだドイツ語は挨拶しか覚えてない。。。😅
でも、頑張って勉強したあの時間返して〜っ
とは全然思わないぐらい、私は外国語をこよなく愛してるのでした❤️
Makiko
PS. ちょっとこの記事は私の外国語愛が強すぎて、書き始めてからアップするのに3ヶ月かかってしまいました(笑)
やっとスッキリして寝れそうです💤


