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許容することと努力することの違い

目覚めは努力や苦労によって得られるものではなく、自己の本質を認めることで自然に訪れるものです。

「許容する」とは、何かを強制的に変えようとするのではなく、ありのままを受け入れ、それを自然な流れに任せることです。

一方、「努力する」ことは、特定の目標を達成するために意識的に行動を起こし、計画を立てたり、課題を克服しようとする行為です。これは人生の多くの場面で重要で、それによって人生がカラフルになるのですが、目覚めやスピリチュアルな成長においては、過度な努力がかえってブロックを生むことがあります。

例えば、こんな感じです。

  • 努力: 瞑想の技術を完璧にしようと毎日1時間練習する。特定の瞑想法(例えば呼吸だけにフォーカスする、頭の中を真っ白にするなど)ができるようになるように努力する。
  • 許容: 瞑想の中で何が起こるかを気にせず、ただその瞬間を受け入れる。瞑想を「集中する訓練」ではなく、「ただ存在する時間」として楽しむ。

瞑想を集中する練習としてするなら別ですが、目覚めのために瞑想の練習を努力してやっているのであれば、真逆の方向に走ってしまってるかもしれません。

目覚めは「努力して達成するもの」ではなく、「許容することで訪れるもの」だからです。

努力は理想の未来に向かってすること、許容は「今この瞬間が最も重要な瞬間である」と認識して、「今」できることに集中することです。

日常で、目の前の出来事に集中し、思考が過去や未来に飛んでいる時にそれに『気づくこと』で、すぐに『今』に戻ってこれます。

ただ、一つ付け加えておきたいのは、スピリチュアル的に言われる『今』というと、必ずしも時計の秒針でいうところの1秒1秒、この瞬間、この瞬間、という意味だけではないということです。

『今』という意味は、『この人生』ということです。

地球を突き抜けて、宇宙の果てから自分を見ると90年間ぐらいの人生が『今』という小さな点に見えます。

今にフォーカスする、というのは『この人生にフォーカスする』ということです。

この1秒1秒に生真面目にフォーカスしなければいけないと思ったら、疲れて10秒も経たないうちに脱落してしまって当然です。(笑)

そうではなく、ボワンと意識を拡大させて、この人生のスイも甘いも体験し尽くし、自然な流れを受け入れていくことで許容の器が大きくなっていきます。

そして常にあなたの器に合ったもの、分量、人、機会があなたの人生に注がれます。

過去の経験や社会的な枠組みに縛られることなく、自分が存在することそのものを受け入れること。 自己批判を手放し、あるがままの自分を許容することであなたの目覚めは加速するでしょう。

スピリチュアルメンターシップ

⭐️来月3月のZOOM交流会はライタリアン交流会です!お楽しみに。。。