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NOという自分にも無条件の愛

セラフローズオーラのエンジェルリンクは、無条件の愛のテーマをインストールします。

セラフローズオーラのアチューンメントを受けられた方の体験談をシェアさせて頂きます。

アチューンメントの最大の恩恵を得るには、『期待しないこと』が一番なので、あまり体験談をシェアするのは控えたいのですが、最近、もしくはしょっ中、喉の調子が良くない方や、人に何かを断るのが苦手な方にとっては参考になるのではないかと思い、シェアさせて頂きます。

NOという自分にも無条件の愛を注げるようになると、YESという自分にも無条件の愛を注げるようになります。

自分にとって大切なもの、本当に欲しいものに対しては、正々堂々と掴み取っていけるようになり、それができないことにより悶々と不満が貯まったり、あの人は良いなあ、と羨ましがって見ているだけ、ということは減っていきます。

セラフローズオーラの無条件の愛の波動は、すべての基本の基本です。

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昨日までの暗く曇った空が嘘のように今日は晴天です。

昨夜寝る前にセラフローズオーラを受け取りました!

キャンドルを灯してゆったりした空間の中受け取ることができました。

普段は座ってよくある瞑想の姿勢で受け取る方が多いです。
そのほうが体感を得やすい気がするからです。
でも今回は受け取りの宣言をした後、寝た状態で受け取りたいと感じたので、すぐ寝転んで仰向けに寝た状態で受け取りました。

今までのアチューンメントのような体感はあまりありませんでしたが、明らかに自分のエネルギーが温かくポジティブなものになっているのが分かりました。

アチューンメントの最中、ただただ感覚的に、自分の行きたいところ、見たい景色、その時に自分が感じているであろう感覚、その感覚が世界に広がっていって、視界に入る人々を眺めた時にそこにまた生まれる感覚、それらを感じてポジティブなエネルギーを味わっていました。

自分自身が満足している状態から拡大して世界平和や愛のビジョンを見ていた、と言ってもいいかもしれません。
まさにハートに火が灯っている感覚です。
キャンドルの炎のような優しい感覚です。

スターシードやライトワーカー、スピリチュアルが好きな方々なら、こんな温かくポジティブで幸せな感覚も何度も味わったことがあると思います。


それでもプライベートな空間から外に出て過ごしていると、触れる情報に圧倒されてしまって、それがこの温かいハートのエネルギーや炎からくるビジョンをもみ消してしまっているかもしれません。


そんな時にこのアチューンメントを受ければ、不要な情報に散ってしまった注意をまたハートの炎に戻して、自分のフォーカスするべきビジョンやエネルギーフィールドに優しく引き戻してくれる、そんなふうに感じます。


自分がどんな状態でいるのがいいのか、どの感覚を指針にすればいいのか、答え合わせになるとおもいます。
もう迷わないし、迷ってしまってもどこに帰れば良いのか分かっているから大丈夫と思えるこの安心感。
こんな感覚もきっと無条件の愛なのでしょう。

気づけば2週間くらい苦しめられた風邪の症状もおさまって、昨夜は久しぶりによく眠れました。
そして目が覚めて、この晴天です。
キャンドルの炎のような温かい感覚もまだそのままです。

早く次のエンジェルリンクのステップに進んでいきたいし、日常生活の中でもこの感覚を保っていきたいです。

ここで、申し込みからセラフローズオーラのアチューンメント完了までの間に起きたことを書いておきます。

本当はもう、思考に頼って整理整頓する領域からは抜け出していて、感覚やビジョンだけで何もかもスムーズになるところまで来ているのですが、私と似たようなパターンを辿っている方のために、少しでも、次に進むための後押しになればと願い、シェアさせていただきます。

実はエンジェルリンクの申し込みをしようと決心した時点から体調が悪くなり風邪のような症状と気分の浮き沈みが現れていました。

直前にリリスのアチューンメントを受けていたこともあり、感情の浮上などがあってもそれに左右されたりはしませんが、自分の手放したいものや、過度な反応をこれからはやめていこうと思っている事象などが次々と思い出され、客観的にそれを眺めながら肉体レベルでは正に怠さと不快感を味わっていました。

申し込みを完了してテキストが届き読み終えるまでの約2週間くらい、ずっと風邪の症状があり、特に咳と声枯れが酷かったのですが、これまでの人生で私が問題として抱えていたことを象徴しているようでした。

話したくない人と無理して話す
話したくない時に無理して話す
話したくない内容について話す
不必要に多く話す

など。

表面的な関係だけ保てば良いのだから無理に親密になろうとする必要はないのに、無闇に自分を全て見せようとしてしまったり、必要でないかもしれないのに深い会話をしてしまったり、過剰に感情や心を反応させて会話してしまう。

そしてぐったり疲れてしまう。

それらが日常の苦しみの多くを占めていました。

苦手な人なら苦手な人なりに対応すれば良いものを、あえて笑顔で感じ良く対応し、自分が言われて嫌なことや不快なことをされた時でさえもまるでそれを喜んでいるかのような振る舞いをしてきました。
例えば母親との関係や、職場の苦手な上司との関係などで。
不快であることを不快であると言えず、表現できず、にこにこしてありがとうと言い、それを更に更に倍増させて、もっともっと受け取ることになる状況を自分で作り出していました。

できるだけ人と会話したくないと心から願っていながら、よりによってできれば話したくない人とほど望まないコミニュケーションをとっていたんです。

過去にも何度か酷い声枯れの状態になったことがありますが、話したくても話せない(声が出ない)状態になると、話したい人と話せない悲しみや苛立ちと、話したくない人と話さなくて良い安心感とが同時に押し寄せて、それは自分のエネルギーの使い方や使い道について本心に沿った選択をするように、と教えてくれているようでした。

本当はエネルギーを使いたくない事に対してエネルギーを使い、いざエネルギーを注ぎたい事が目の前に現れるとそこには消耗してエネルギーが枯渇し疲れ切った自分がいるんです。
望む状況が目の前に展開されても、疲れのせいで苛立ちが生まれ、本当は嬉しいはずなのに嬉しくなんかない!

といったような態度をとってしまう。

プレゼントを差し出されても素直に喜べない。

そんな自分に説教をしようと思考を働かせ、またエネルギーを消耗してしまう。

なぜエネルギーを注ぐべきことに注げず、注ぎたくないことに注いでしまうのかといえば、それはNOが言えないからでした。

罪悪感があったからです。

NOと言うことは悪いことと勝手に決めつけていたからでしょう。

YESと言いたい状況にどれだけ意識を向けようとしても、NOの状況にまでも沢山意識を向けていたら、フォーカスしたいことのために使うエネルギーは少なくなってしまう。


私たちは無限の存在で無限のエネルギーがあるとしても、肉体がある以上はどこかで疲れや空腹を感じてしまうのだから。

断捨離や片付けなどに例えて言うなら、捨てたいものを捨てずに更に新しいものを買い足しているような状況です。

実際に身の回りの物質的なモノの断捨離は過去10年で散々やってきて自分のものとしていたつもりでしたが、それがエネルギーの交流や会話によるコミュニケーションのこととなると、適用できていなかったようで、ここで気づけて良かったです。

嫌なことを嫌と言っていいし、
直接的な言葉で言えないとしてもそれを相手に察知してもらえるであろう方法はたくさんある。

例えばどんな態度をとるか、どんな頻度で接するか。
距離を置いたり、場合によってはもう会わないことや連絡を取らないことを選択してもいいし、どうしても毎日同席しなければならない相手なら、挨拶以外は自分からは話しかけないでいるとか、不快な話題を振られたら興味がない事が伝わるような相槌の打ち方をするとか。

こんな選択を実行したところで大きな問題にはならないのかもしれないと、今なら思うことができます。

どんな内容の会話ならYESなのか、どんな内容の会話ならNOなのか、相手に分かるような反応の見せ方はたくさんあるはずで、もし思い浮かばなくても周りの人や映画や本の中の人達からアイディアを貰うこともできます。

ほとんどの場合、その人達は孤立していないし、その人が自分で望むコミュニティの中では愛されているので、きっと自分も大丈夫なはずなんです。
(NOと言って孤立していたのだとしたらそれは単にコミュニティを変えればよいだけであったり、NOの表現の仕方がたまたまマッチしていなくて、それを学んで別の方法をとればいいだけ、そしてその人はまた誰かから愛される。必ずそんなふうにどの物語もできています。)

NOと言っても全ての人から嫌われるわけではない、NOと言って例え相手が一瞬傷ついたとしてもその人は私以外の全ての人からNOと言われるわけではなく、他の誰かからは愛され、生活は保たれていくのだから。

嫌なことに嫌と言えることは、好きなことに好きと言うことと同じくらい重要で素晴らしいコミュニケーションのようです。

不思議なことに、
アチューンメントの後すっかり体調も良くなって
今は快適に過ごしています。
現実世界に目に見える体験として変化が現れるのはとても面白いことですね。

次のステップもどうぞよろしくお願いいたします!

(R様)