あなたは自分の道を歩んできました。
そして今は選択のときです。
変化し、成長し、よい状況を引き寄せるために選択して下さい。
夢に近づくためには右を選ぶべきでしょうか? それとも左を選ぶべきでしょうか?
関係をもう一歩深めて情熱を捧げますか? それとも離れていきますか?
幸福な一生を送るために、どんな人間になり、何を信じる必要がありますか?
どちらの道を選んでも自分で選んだのなら、きっと有意義な経験ができるでしょう。
あなたには実現したいものがはっきりとイメージできているのかもしれません。
その形、協力者、得られる報酬が明確にわかっています。
それでも肩の力を抜いて、別の可能性にも目を向けると自分の計画以上に素晴らしいことが待っていることがあります。
頑固さを捨てて少し柔軟になるだけで、これまで考えてもみなかった仕事や新たな収入源、思いがけないチャンスがあるかもしれません。
または、あなたがすでに出会っている人が今後、特別な人になる可能性もあります。
これまで過剰に用心深かった人は、一息入れてリラックスしてください。
すべて順調に進んでいるのです。
あなたがこの世に生まれたのは、退屈な人生を送るためではありません。
制約から解放されて、あなたの心を自由に羽ばたかせてください。
笑い、踊り、探検し、大胆に想定外の行動をしてください。
あなたがもっと自由になれるような選択をすることにより、あなたは真の意味での安心感を手に入れるでしょう。
Makiko Kurata
茨木のり子さんの詩集より
ぎらりと光るダイヤのような日
短い生涯、とてもとても短い生涯
六十年か、七十年の
お百姓はどれだけの田植えをするのだろう。
コックはパイをどれぐらい焼くのだろう。
教師は同じことをどれぐらいしゃべるのだろう。
子供たちは地球の住人になるために
文法や算数や魚の生態なんかを
しこたまつめこまれる。
それから品種の改良や
りふじんな権力との争いや
不正な裁判の攻撃や
泣きたいような雑用や
ばかな戦争の後始末をして
研究や精進や結婚などがあって
小さな赤ん坊が生まれたりすると
考えたり、もっと違った自分になりたい
欲望などはもはや贅沢品となってしまう。
世界に別れを告げる日
人は一生をふりかえって
自分が本当に生きた日が
あまりにも少なかったことに驚くであろう。
指折り数えるほどしかない
その日々の中のひとつには
恋人との最初の一瞥のするどい閃光などもまじっているだろう。
<本当に生きた日>は人によって
たしかに違う。
ぎらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ。