元気な世界”に疲れたあなたへ。回復を待つ時間も、人生の「本番」です
私は、人より疲れやすいです。
無理がきくタイプではありませんし、回復にも時間がかかります。
一度外に出ると、その後しばらくは静かな時間が必要になります。
活動量も、どうしても限られます。
自分を「いつも元気で健康」と思ったことはありません。
むしろ、脆さを前提に生活を組み立てています。
これは、歳をとったからではなく若い頃からそうです。
でも以前は、いつも人と比べていました。
よりによって友達は、アスリートやダンサーが多かったので
比べる対象からして間違っているのですが。。。笑
もっと動ける人、全国を飛び回ってる人、休まず発信できる人、エネルギーが切れない人。
自分はなぜ同じようにできないのだろう?、と。
でも、比べていると更に潰れます。
身体は説得に応じないし、気合で延びる回復力にも限界がある。
それなら、ここを出発点にするしかない。
近年は、そう考えるようになりました。
疲れやすいことは、欠点というより、そういう身体の設計なのだろう、と。
短距離走ではなく、間を空けながら歩く設計。
量よりも、密度のほうが先に来るタイプ。
深い話になると疲れるのではなく、浅い話の方が逆に疲れることも多い。
回復に時間がかかるからこそ、
回復していない状態で何かを決めないようになりました。
活動量が限られているからこそ、
本当に必要なことや人しか、手元に残らなくなりました。
『整っていない日も、居場所はある。』
↑
これは自分に言い聞かせてきた言葉ですが、
ニュースレター読者様のZOOM交流会や
『静けさから創る人たちのコミュニティー』を通して
最近は、やっとですが、少しだけ実感を伴ってきています。
調子のいい日だけを自分だと思わなくていい。
動けない日を、仮の姿にしなくていい。
今日はここまで、という線を引けることも、
生きる力の一部なのだと思います。
(日の出と共に起きませんが、昼寝をし、日没と共に『完』です。笑)
スピリチュアルな活動をしていると、
何らかのイメージを向けられることもありますが
(エネルギーが無限に溢れ出て来て尽きることがない、とか?笑)
実際の私はかなり地味で
静かで、回復待ちが多く、予定も詰められません。
それでも、ここまで来ている、という事実は確かにある。
たくさん動けなくても、深く呼吸できる日がある。
活動量が少なくても、言葉が嘘をつかない瞬間がある。
そして大きな病気はせず、長生きするという根拠のない自信もある🤭
人生の目的はまだ曖昧なところはありますが、足は前に出る。
大きく踏み出さなくても、立ち止まりすぎなければいい。
この身体、この回復ペース、この活動量でしか
見えない景色があるのだと思います。
それを無理に説明しなくても、
いい関係だけが残ってくれていて感謝でいっぱいです。
答えは出ていないけれど、地球での居心地はそれほど悪くない。
今の私は、
このスピードで生きることを、やめなくなったところです。
同年代で頑張りすぎている人、
理由のわからない不調を抱えている人、
“元気な世界”についていけない人にとって、
私は初めて安心できる教師になれるんじゃないかな、って密かに思っています。(笑)
Makiko
ココナラコンテンツUPしました。


