先月から続いた感情的な大波小波が、ようやく落ち着いてきた頃でしょうか。
荒れているときは、バランス良く全てが穏やかに収まっている状態を目標にするかもしれませんが、
バランス良く収まりすぎてそこで固定してしまうと、やはりもう少しそこに揺さぶりをかけて拡大していきたくなるものです。
私たちはそうやって、縮小と拡大を繰り返しながら様々な経験を積み、魂を磨いていきます。
すなわち、自分が創り上げたものや壊したもの、自分が始めたことや終わらせたこと自体ではなく、その過程で得た叡智や知恵にこそがあなたの魂が望んでいることなのです。
この先、もっと生活の質をアップしたい、もっと新しい冒険をしたい、もっと事業を拡大したいという欲が出てきても驚かないでください。
あなたの望みはどこまででも叶えてもよく、小さくまとまっている必要はありません。
わたしたち全員の中に、個々の神の存在があります。
長い間それを忘れている状態=休眠状態にあり、自分がとるにたりない無力な存在だと信じてきたかもしれません。
自分には何かが足りないと思うと、他から奪う形で補うことになります。
意識してやってる場合もありますが、無意識のレベルでやってしまう場合もあります。
どちらにしても、どこか根底に罪悪感がこびり付いてしまうので
それが人生をもっと幸せで豊かにさせることを阻んでしまいます。
自分の中に偽物感があればある程、より自分を正当化しなければならなくなり疲れます。
罪悪感が大きければ大きいほど、他人のために自分をすり減らす形で相殺したいという気持ちも働くかもしれません。
他人のために自分を犠牲にするのではなく、
見返りを求めず分け与えようとする、あなたの純粋な気持ちにこそ大きな価値があります。
「ただ、そうしたいから」という気持ちであなたが自然にやっていることは何ですか?
日々のちょっとしたことを面白がってください。
あなたが『ただ、そうしたいからする』ということをもっともっとやってみてください。
それは何かを学ぶことだったり、自由に走り回ることだったり、お昼寝かもしれません。
それだけで波動的に宇宙に大きな貢献をしているのです。
心にゆとりを持って自分がしたいことを本当に楽しむようにすれば、どうしようもなかった問題にも解決の糸口が見えてくるでしょう。
Makiko Kurata
もっと強く〜茨木のり子さんの詩
もっと強く願っていいのだ
わたしたちは明石の鯛がたべたいと
もっと強く願っていいのだ
わたしたちは幾種類ものジャムが
いつも食卓にあるようにと
もっと強く願っていいのだ
わたしたちは朝日の射すあかるい台所が
ほしいと
すりきれた靴はあっさりとすて
キュッと鳴る新しい靴の感触を
もっとしばしば味いたいと
秋 旅に出たひとがあれば
ウィンクで送ってやればいいのだ
なぜだろう
萎縮することが生活なのだと
おもいこんでしまった村と町
家々のひさしは上目づかいのまぶた
おーい 小さな時計屋さん
猫脊をのばし あなたは叫んでいいのだ
今年もついに土用の鰻と会わなかったと
おーい 小さな釣道具屋さん
あなたは叫んでいいのだ
俺はまだ伊勢の海もみていないと
女がほしければ奪うのもいいのだ
男がほしければ奪うのもいいのだ
ああ わたしたちが
もっともっと貪婪(どんらん)にならないかぎり
なにごとも始りはしないのだ