自分が生まれてきたテーマの『真逆を体験する』ところから
人生は始まります。
例えば、家族、友人、同僚、子供、、、人間関係で自分の自由を失くしているという感覚がある人は、
『内なる真の自由の獲得』
というテーマで生まれてきています。
人生を孤独に生きていく事は自由とは呼びません。
責任という課題をただ放棄しているに等しいからです。
自分の責任の範囲が曖昧な為に、勝手に傷ついたり報われなかったり疲弊する事があります。
あなたがウエイトレスだとして、お客さんが食事を不味いと言っても、それはあなたが作ったのではないので、少しは嫌な気分になってもトラウマになる程の事ではありません。
あなたの中できちっと、これはお仕事、私は食事を運ぶ係、お客さんは私を攻めたわけでも嫌ってるわけでもない、と線引きと割り切りが出来ているからです。
しかし、あなたのパートナーや家族、親友の場合どうでしょう。
この境界線がもうぐちゃぐちゃなことが多いのです。
自分の責任の範囲を明確にして、自分に対してだけは責任をしっかりとっていれば、周りにどんな人が何人いても、内側の自由を侵害されることはありません。
言うは易し行うは難し、でやはり慣れてないと練習は必要です。
そうでないと、あなたの人生に頻繁に自由気ままに振舞っているような人が立ち現れ、あなたをイラつかせることになります。
自分はこんなに耐えてみんなの事を考えてるのに、なんであなたはそんな身勝手なの、という風にあなたの目に映るのです。
あなたの人生のテーマは何でしょうか。
人生のスタート時に体験し、それがなお今も引っかかってブロックになっていること。
それが、テーマなのです。
スタート時に感じた欠落感の真逆を体験するために生まれてきました。
もし、愛されてないと感じてきたなら、愛される体験をするということ。
もし、いつも一人浮いていて孤独を感じていたなら、仲間と共にいるという一体感を体験するということ。
もし、ずっと不安で仕方なかったのなら、安心感や安定感という体験をするということ。
テーマ(課題)は、慣れてることとは『真逆』なのでそれはそれは、怖いのです。
生まれて初めてのことだからそりゃあ怖い未知の世界なのです。
人はどれほど求めてきたことでも、未知な世界に足を踏み入れることの恐怖より、馴染みのある不幸の温泉の方が快適に感じる傾向があるようです。
不安がずっと続くのも嫌だけど、安心しきったら堕落してしまうんじゃないか、などと勝手に取り越し苦労をして、それなら今の不安の方がマシ、と結論づけてしまう人もいます。
視点をAからBに横移動に変える、というのはなかなか難しいことです。
視点を変えるのではなく→、視点を上げましょう。↑
上から俯瞰するように自分のことや、物事を眺めてみましょう。
コップに水が『こんなに入っている』か、『これだけしか入っていない』と感じるか。
そんなちっぽけな、どう感じるべきか、どう感じたら幸せになれるのか、という議論を超えて、
なんかコップに水が入っているみたい、
というところまで遠く離れたところからコップを見てみるのです。
もしくは、コップも見えないぐらい宇宙の果てから見てみるのです。
それぐらい視点をあげて物事を大きく捉えると、あなたの世界に『不幸』というのは無くなります。
なんか頑張って目を凝らしたらあるのかもしれないけど、見えない。(笑)
今日もホワンとした1日を^^
Makiko
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