太宰治の『皮膚と心』は、左乳房の下に小豆粒に似た吹き出物を見つけた新妻の「私」が、夫に連れられて皮膚科に行く話です。
去年の夏、海や山で私が全身虫にさされていたときにタイムリーに読みました。
太宰治自身が「男のくせに、顔の吹出物をひどく気にする」自分の気質から着想を得て書いたそうですが、本当に人の心をうまく表している作品だと思いました。
私の自負していた謙譲だの、
つつましさだの、
忍従だのも、
案外あてにならない偽物で、
内実は私も知覚、感触の一喜一憂だけで、
めくらのように生きていたあわれな女だったのだと気づいて、
知覚、感触がどんなに鋭敏だっても、
それは動物的なものなのだ。
ちっとも叡智とは関係ない。
全く愚鈍な白痴でしかないのだ、
とはっきり自身を知りました。
私は、これでも自身の知覚のデリケエトを、
なんだか高尚のことに思って、
それを頭の良さと思い違いをして、
こっそり自身をいたわっていたところ、なかったか。
私は、結局は、おろかな、頭のわるい女ですのね。
太宰治 皮膚と心より
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綺麗と美しいは違う
~女流書家 堀佳琴
”きれい”というのは整然と植えられた松。
”美しい”は断崖絶壁に生える松。
きれい事は、だれでも言える。
美しさは、姿が語る。
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本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました!
Makiko