アメリカ大陸横断の旅1 年月を重ねるということ

 

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2013年冬、ここ、寒いマディソンに来たのは、
他でもなく施設に入っている、元旦那のお母さん(ダナ)に会いに来る為でした。

ダナは、今から思えば
私の人生の方向を180度変えて開眼させてくれた最重要人物なのです。

私が、まだドイツに住んでいた時、
彼女は一回の滞在が2~3ヶ月の長さで年に2回、
我が家に来ていました。

4人の子供が小さいときにご主人を亡くしたダナは
女手一人で、強烈な個性の子供達を育ててきました。

その後彼女は、ソウとウツの差が激しいメンタルの病気になるのですが
頑としてお医者さんに処方されているお薬を飲みません。
なので、年々悪化の道を辿ってました。
(まあ、私も薬飲まない派なので、こればかりは何とも言えないのですが。
お薬を飲んでいたら副作用で、違う症状が出ていたのかもしれないですし。)

 

ソウの時は、めちゃくちゃ楽しく、一緒に散歩したり 買い物行ったり、クッキーを作ったり。。。
頭も切れて、おしゃべりも上手だし、彼女の毒舌ジョークにいつも笑わされていました。

しかしウツの時は最悪。
私が作った朝ご飯もまずいと言ってゴミ箱に捨てられるし、
家から帰って来たら、庭の花々が見事に
根元からちょん切られていた事も。
そのうち私の首も、寝てる間にちょん切られるかも、とびくびくしてたぐらいです。
そして、悪口、文句、嫌み、不平不満トークが延々と続きます。

このダイナミックなソウとウツの揺れに
完全に私はやられてしまいました。

彼女に出会って、たぶん人生で始めて、
”話したからといって通じない”存在に出くわしたのだと思います。
だって彼女が何をしようと何を言おうと、それは
”病気なんだから” 仕方ないんです。

彼女は単なるシンボルの1つで、この世にはいろんな人なり事件なりがあって
自分の手には負えない事が沢山あるのだということに
直面させられたのでした。

そこから私は、自分をプロテクトするレイキヒーリング、
感情をリリースして、現状を克服するフラワーエッセンス、
自分をニュートラルな健全な状態に戻すホメオパシー、
祈りのエンジェルセラピーなど、目に見えないと言われている世界へと傾倒していったのです。

ダナが最後にドイツに来たのは2年前。
この2年間キッパリ私の中で、彼女との縁を切ってました。

この間、私はいろいろなメソッドを習い、しかも他人様に教えつつも、
まだダナに対する怒りと、どうしても彼女を嫌いになってしまう自分に対する怒り
を解消しきれないでいました。

 

そして、やっとそろそろ会ってもいいかなあ、とやってきたマディソン。
彼女がいる養護施設を訪れて
はじめに一目見た時
あまりの彼女の変容に涙が出てきました。
年末から何度も転倒を繰り返して、身体は以前の半分ぐらいに痩せこけ
小さな妖精のようになっていました。

でも私の涙は、老いた事に対する悲しみの涙ではなく
どちらかというと感動の涙でした。

今は車いすで、歩くとしてもせいぜい10メートルしか歩けない程
筋力は劣ってますが、
顔の表情はやわらかく、ほんとに仏様のような顔をしていたのです。

以前はいつも会話の中心でマシンガントークだった彼女が、
完全に聞き役で、何か質問をすると10秒後ぐらいに
ゆっくり言葉を選んで返答してきます。

すべてはスローになってますが、
選ぶ言葉も、スープを飲む動作も
非常にエレガントで、意識に満ちあふれていました。

私は涙とともに今度こそ本当に今までの
怒りが溶けていくのを感じました。
その後残ったのは、私の世界を広げてくれたダナに対する感謝しかありません。

先週は、息子がホームメイドのラザニアを作り
孫達も一緒にダナを訪れて
施設でパーティーを開きましたが、
子供達は、あの面白いやら怖いやら訳がわからない
クレイジーなおばあちゃんが
こんなに静かに消えていきそうになってるのをみて
混乱しているようでした。

明日から
アメリカ大陸東から西へと、車で横断する度に出かけるので
もしかしてこれでダナに会うのは最後になるかもしれません。

でもあんまり淋しい事もないのが正直なところです。

案外このまま100歳ぐらいまで生きていくのかも、という気もします。

人の人生が、完全な円を描いて完結した
見本を見たような気がすると同時に

自分の長い格闘の旅も終わりを告げたような気がします。

 

どちらにしても、素晴らしい教師や、あこがれの人からの励ましが
私のターニングポイントになったのではなく、
このクレイジーなダナが
私の最大の教師でした。

私も、素晴らしい人を目指すのではなく、
自分らしい人、を目指したいと思います。