メンタルブロック/マインドブロックを取る方法

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最近は、『メンタルブロック/マインドブロックを取る方法』
というのが流行っているようですが、
私はすごい人の話を聞いてる時、今、ブロックがぽろぽろ外れていく~、
と思う瞬間があります。

今回は宝塚歌劇(またか!)の創業者であり、鉄道に駅百貨店やレジャーを組み込むという
新しいビジネスモデルを作り上げた小林一三さんをご紹介したいと思います。
とにかく、この方はアイデアマンで、
『金がないから何もできなという人間は、金があっても何もできない人間である。』
といって、数々の大失敗をおかした時に限って、錬金術師のように
その失敗を成功に塗り替えて来られました。
では、小林一三さんの歴史を。。。
明治六年一月三日に生まれたので、『一三』と名付けられる。
学生の頃は作家で身を立てると心に決める。
就職では新聞社を志望するが三井銀行に入る。
勤続14年の後、三井銀行を退職。
その後、箕のう電軌(京阪神急行電鉄)の経営に参画する。
『乗る人がいなくて赤字になるなら、乗る客を作り出せばよい。
それには沿線に人の集まる場所を作ればいいのだ。』
小林は「乗客は電車が創造する」との言葉を遺しており、
沿線の地域開発により人口が増加し、その住民の需要を満たすことに商機を見出していた。
この沿線は利用客が少なく、「人を呼ぶのに動物で呼ぶ」という発想で
1910年、敷地3万坪の日本一の『箕面動物園』設立。
→失敗に終わる。
この失敗に学び、徹底的なマーケティングを行う。
郊外の一戸建てに住み、日曜日には家族で遊園地やショッピングという
新しいライフスタイルを提案。
沿線の土地を買い、宅地として開通と同時に売りだした。
これは15ー20分の郊外で当時の公務員の年収の3ー4倍で手に入るとあってよく売れた。
そして宝塚に大浴場「宝塚新温泉」、隣に新型レジャーセンター「パラダイス」に室内プールを作る。
しかし、外国の水泳場では水中に鉄管を入れ、そこに蒸気を送って適度に温めている、
ということ(温水プール)を知らなかった小林一三のオリジナル室内プールは、
5分も泳いでおれない、と客のクレームが殺到し、閉鎖。
1914年、閉鎖されたプールの水を抜いて水槽を客席に、脱衣場を舞台として改造し、
そこで少女らに唱歌を歌わせ、劇を演じさせた。
これがその後、100年続く「宝塚歌劇」の始まり。
『私の最大の目的は、生活の単位を個人より家庭に、
したがってその娯楽もまた個人より家庭に
すなわち 旗じるしは簡単にして鮮明である。
朗らかに、清く、正しく、美しく
これをモットーとする
我が党の芸術は
すなわち高尚なる娯楽本位に基づくところの国民劇である』
歌が好きな良家の少女を募集し、水準以上の俸給を支払った。
音楽教育以外に、人間教育やしつけにも責任を持ち、
プロの舞台人よりも、教養ある女性の教育、に心血を注いだ。
また、日本ではじめてのターミナルデパートである阪急百貨店を開店。
鉄道会社が、直営で百貨店を経営するなどといった事例は日本国外にもなく、
その前途に疑問を持つものも少なくなかったが、小林は
「素人だからこそ玄人では気づかない商機がわかる」、
「便利な場所なら、暖簾がなくとも乗客は集まるはず」などと言って事業を推し進め、
世界恐慌のさなか多くの客を集めることに成功する。
1929年 六甲山ホテルの建設・開業
1932年 東京宝塚劇場
1937年 東宝映画の設立
田園都市株式会社を実質的に経営、田園調布を開発、
東京電燈の経営に参画、国政で商工大臣、無任所の国務大臣を務めるなど、
財界の重鎮としても活躍。
電車の吊り革広告を、日本で初めに行う。
天才的なコピーライターでもある。
→彼のヒット広告
「新しく開通した神戸ゆき急行電車、綺麗で、早うて、ガラアキで、
眺めの素敵によい涼しい電車」
後に、作家で身を立てると心に決めていた若い時の夢を思い出し、
20作以上の宝塚歌劇の脚本も手がける。
また、野球好きがこうじて夏の甲子園野球大会、阪急ブレーブスの創設にも尽力した。
小林は
「私が死んでもタカラヅカとブレーブスだけは売るな」
と言い残したと言われている。(ブレーブスは1988年、孫娘の夫である小林公平が「使命を終えた」としてオリックスに売却)
実業界屈指の美術蒐集家、また茶人としても知られ、集めた美術品の数々は、
彼の雅号をとって「逸翁コレクション」と呼ばれている。(池田市)
小林一三が興した事業は数々あるが、
「すべての事業の対象は大衆であり、
どんな仕事の末端も大衆につながっている。」
という考えを貫き、
自分の事業は生活に密着しなければ意味がない、と考えていた。
幼いときに母親を亡くした小林一三にとって、
宝塚は女性達がやさしく輝き続ける理想の場所でもあった。
   Wikipedia
(余談ですが、プロテニスプレーヤーの松岡修造は小林一三のひ孫。)
人間の可能性って果てしないな〜と思いました。